展覧会趣旨

会場である旧立誠小学校跡地は、美術館やギャラリーと違い展示を旨としない建築空間ですが、近年は、こうしたスペースを再利用して展覧会が定期的に開かれるようになっております。そこで本展では、場所の力を存分に活かせるよう「放課後」をテーマとした展示を行います。

小学校の校舎は、子供たちの授業や休み時間の喧噪が幾年もかけて積み重なった思い出の場所。閉校となった今でも染みついた記憶は空間を漂い、私たちに何かを語りかけるようです。明るい昼間の学校と違って、放課後の下校前の夕暮れの校舎や校庭に佇むと、部活や遊びの面白さとは別に、寂しさだったり、恐ろしさだったり、摩訶不思議な感情を呼び起こします。感性豊かな美術作家にとっては創造力をかき立てる絶好のシチュエーションです。学校としての役割を終わっても存続する旧立誠小学校は、まさに「永遠の放課後」を感じさせます。

時間がゆっくり流れた子供の頃を思い出しながら、11名の作家それぞれの「放課後」を堪能してください。

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推薦文 今井祝雄 (美術家・成安造形大学教授)

『展覧会の放課後』

まだ開かれていない展覧会であっても、企画書や案内状がすでに何かを発している。作家の顔ぶれがどうこうよりも、展覧会に込められた企画者の思いや出品者(ないし参加者)の意気込みが感じられる時、その展覧会は一つの力を放っている。

そんな数少ないひとつ「AfterSchool放課後の展覧会」を見てみたいと思う理由は二つある。一つは町屋・社寺など歴史的建造物における展覧会は珍しくはないけれど、美術館やギャラリーでない空間的特性に注目しながらも既成の展覧会の形式にのっとったものが多いなか、元小学校で開かれるこの展覧会ではそうした空間への眼差しだけでなく、文字どおり"放課後"という時間軸にまで踏み込んで、場所の意味と真正面に向き合おうとする姿勢がうかがえる点である。

二つ目は、現代アートにおいて、美術館をはじめ新聞社・NPOなどが開催する企画展が増え、マーケットも見据えた近年の動きを歓迎すべきなのかもしれない反面、多くの若い作家が受身的になり、自主的な相互の研鑚と実験の場を築くことが少なくなっている現状を鑑みるとき、一人の真摯な表現者の仲間うちでない呼びかけに応えた作家たちが集うこのたびのコラボレーションに大きな期待を寄せるものである。

始まっていない同展の"放課後"も楽しみとしたい。

今井祝雄 (美術家・成安造形大学教授)
10代から吉原治良に師事し具体美術協会会員として活動。第10回シェル美術賞1等賞受賞。社会における芸術のあり方を制作とともに実践的に研究、『アーバンアート―芸術からの街づくり』ほか、『白からはじまる―私の美術ノート』など著書多数。

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発起人・木内貴志

今回の展覧会は私、木内貴志が声をかけ、参加作家を中心に「実行委員会」を結成し、運営しています。各作家、それぞれ、キャリアも作品形式も発表場所も違う美術作家です。自身が個人的にリスペクトする作家さん達の中から、この小学校跡地で発表するのにふさわしいであろう作家さんに声をかけました。今回の展覧会は、いわゆる「展覧会キュレーター」は存在せず、発起人である木内がそれに近い立場となります。

本来、展覧会には「キュレーター」が存在し、学芸員やフリーのキュレーターなどが、展覧会の「テーマ」を決め、それに基づいて作家や作品を選び、構成して行くものです。しかし、本展覧会は、特に具体的なテーマは設定せず、キーワードとしての「放課後」という言葉と、会場という空間だけを用意し、あとはそれぞれ作家に委ねるという、オルタナティヴなグループ展となります。

実際私が見る限りでは、この会場使用に関しは、まだ、会場の特性を生かしたものというよりは、何かしらの団体の発表会にとどまってるものが多いように感じられます。また、残念ながら、現状の美術界界隈では、学閥やしがらみ等も多く、垣根を越えた自由な活動ができない状況にある学芸員やキュレーターも多く、また、フリーな活動をする方も、資金面や経験面でどうしても小じんまりした企画や、ある種の組織の枠を超えれない企画が多くなっているという状況を、体験的に感じています。そこで、そんな中、特にどこにも属さない美術作家である私が、同じ状況にあり、実力と魅力を兼ね備えた作家に声をかけ、展覧会を開催し、そのような状況に何か一石を投じる事で、新しい展開を切り開けるのではないか、と考えました。

この展覧会が、この地域のさらなる文化的発展や、この会場の今後の使用に関する契機、また、美術や文化事業における新たな可能性を示す事ができれば幸い、と思っております。

木内貴志 (美術家)
1973年京都生まれ。1997年成安造形大学卒業。在学中より関西を中心に美術作家活動を始める。 手法や作風を限定せず、絵画や立体はもとより、企画性の強いイベント的行為作品など、 様々な表現を使い、社会や制度と個人の問題を作品化し、「キウチズム」なる個人イズムの確立を追及している。

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